胡蝶の夢(4)
胡蝶の夢〈4〉 | |
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生きる場所、生きる姿、そして「分際」。武士とは何か、生きるとは何か、医者とは何か、命とは何か。
常に武士道、と言う言葉にちょっとした反感を持っている。師の影を3歩退いて踏まず、とうちのばーさんはいつだって言っていたけど、それはとても正しいと思う。それが「分」であるとおもう。
だが、太平な世に育った武士で、一飯の恩義を感じる武士は減っていった気がする。
分が、悪い。
空気を読むのは日本人の得意分野であるという。
空気を読む、と言うのは非常に難しい。
昔、意見をはっきり言える子はよいとされていた。それは、珍しいからであり、皆がそれを言い始めるようになって結局多くの人が分をわきまえよと言い始めた。
時代に翻弄されている、時代が流れている。
中にいれば何も見えず、外にいれば加わることのできないもどかしさがある。
武士が武士らしくあること、それが武士道であり、町人は町人として生きるべきで、それが士農工商。誰もが武士らしくなったら誰が武士を養うの?
勉学は次男、3男がするものである、
命より、命以外のものが大切とされた。
個人ではなく、家だった。殿だった。地域だった。藩だった。(でも、幕府ではない)
西洋が入ってきて、それは全く悪いことではなく、日本人特有の、これは私が余り好きではない密約めいたもの、言わば漢方の「いい子にだけ伝達するよ」的仕組みが壊されていったときに、「個人」が生まれたときに、その文化は瓦解していく。
良順さんが言ってたよ。
「新しい文化が入って、昔のものが消えていくのは仕方ない」
仕方ないけどさ、分であるとか、空気を読むとか、そういう私たちが私たちである事を認識できるような、歴史を知って我々が自分自身を誇りに思えるような、そういうのって大切にしたいよね。
授業中にガムをかむ。どうして先生は注意できないの?
「なんで失礼なんですか?」と子どもが聞く。
それは、今まで「分際」だったから、先生も説明ができない
「説明できないのに、ダメって言わないで下さい」
バカみたいに、それが良しとされている。低脳が理屈をこねても所詮テイノウなんだよと、言いたい。人が喉からして教えてんだ、あんたがくっちゃくっちゃガム食べてたら嫌な気分だろう、っていうか、教えられる立場なら、教える人の嫌な事をするな、
それを、いえてもいいのじゃないかな?
なぜ歴史を学ぶの?なぜ本を読むの?
当たり前の事を、説明しなくてはいけない時代になっている。
これって、コミュニケーションがうまく行かないからだよね。
日本人みたいに目でモノを言えなくなってきているし、以心伝心がおかしいからだよね。