日本語はなぜ美しいのか
日本語はなぜ美しいのか | |
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黒川さんとは7年前に少し、仲良くさせていただいた。美しいオーラを持っている人だなあ、と思っていた。
語感の研究をされていると聞いていたので、言葉のオーラなんだろうか、と思っていた。
なのに、同じMLに入っていながら、私は彼女の本を読んだ事がなかった。
実は、随分昔に、自分の名前を分析していただいた事がある。
私は「名前が雰囲気を裏切る」人であり、名前だけであれば「もっとおとなしい」感じなのだそうだ。
確かに、実際の私はぐーたらで1日誰とも話さなくていけるけど、外に出れば自分を創るのだから、まあそんなものなのかもしれない。
ところで、彼女の本を初めて読んだ。
時折彼女の一人ごとになっていたり、文章として形をなしていない所は「急いで描いたんだろうなあ」と思う。
しかし、全体的には日本語の美しさを再認識できる本だったし、新書なんだから、文章がむちゃくちゃだったり、作家のような骨のある文章をかけないのは大目に見てね、というところでも、とてもいい本だった。
感動したのは「桜」のくだり。
日本の語感はサクラということばで、散ることを美しいと思う。サクラがハラリハラリと空を桜色に染めて、道をサクラのじゅうたんにするのが美しい。
ところが、チェリーブロッサムは、そうではない。満開で、空に向かって自慢しているようなそう言う感じ。美しいと思うタイミングが語感なんだとおもう。
そういえば昔、外人とつきあっていた頃、彼は日本語がペラペラだったが、それでも、ほんの少しの言葉の差異がどうしても我慢できなかった。蛙飛び込む水の音、そんな感じを共有できない相手とは楽しい時間を共有できないと思った。
先日、翻訳会社の人と知り合ったが、彼らには私の欲しい日本語に訳す事は出来ないと思う。
それが語感の文化なのかもしれない。
確かに、アメリカ育ちの従兄弟とはいろいろなものが違うもの。
違うと言う事が悪い事ではなく、違うと言う事を認める事が重要なんだと思う今日この頃。