書く。
・自分で選ぶということ
今、私が日本に住んでいるのは、日本にしか住めないからではなくて、住みたいから選んで住んでいる、という考えだ。
消極的に選択しているのではなく、積極的に選択した結果として、今ここにいる。
だから、いつでも自分の意志で動けるように英語を学ぶ。動きたくなった時に英語が足を引っ張るために自分の意思を実行できないというのは避けたいから。
・質問の難しさ
なんでもかんでも質問しないで、少しは調べなさい。
と思う時がある。
一方で、どうして解らないことを質問しないの?どうして情報が足りないがゆえに答えが出ないのに、その情報に対して質問をしないの?
と思う時がある。
前者を思う時は、自分がその答えがあることを知っているからだろう。しかし、質問する側はどこに答えがあるのか、どういう答えなのか、どう調べればいいのか解らないから質問するのだろう。(これもすべて推測だな)
後者を想う時は、自分も答えを知らないし、質問しない人が結論の出ないことに対してうだうだしているのをみてイライラしているときだ。たとえばあの人はどう思っているかなどだ。そんなのエスパーじゃないのだから解らない。聞きなさい。あの人はこう思っているに違いないと勝手に推測してはいけない。と、前文で推測しながら書いている私は一体なんなんだ。
つまり、質問の質などと言われるが、要はそれを判断する人にとっての質問の質であり、本質の質ではないのだな。と言うことに気づいた。
書くと、色々な自分の中の矛盾に気づくことができて面白い。