美貌録

とにかく、思うことを何も気にせず、淡々と、書いてみる。

今日の格言風

今日の格言風

「地味を知らないと派手なことはできない」

つまり、きちんと基礎を抑えていないと、難しい技などはうまく扱えないのであるということ。

 

今日、ちょいと嫌なことがあり。
勝手に私の人生を占われて
勝手に「今年は運勢が悪いからあなたはあれしちゃいけない、失敗する」だの言われた。
しかし、失敗をそのせいにしたくないし
失敗を前提でやるつもりもないし
ことだまってあると思うので
そういう風に言われたらそうなってしまうような気がして、かなり嫌な気分。

なので、全部、その占いのやってはいけないことをやってみようと思う。

今始めたサービスがうまくいかないかもとか言われても
それを待っている人がたくさんいるのだから、うまくいかせなくちゃいけない。

占いの結果よりも、待っている人のために私が頑張る。

それでいいじゃん。

いやー、しかし、結構むっとしたな。

相手から見たら、親切心で言ったのだと思うし、
恨むこともないはずないのだけど
本当に余計なお世話!

ただ、悪い時期なのかもしれない、という事だけは忘れずに
慢心せずに、慎重に、待っている人のために頑張ろう。

でんぐり返しと2回でんぐり返しと。

さっき、このやり方ありましたよね。

これはさっきのやり方の応用です。

見直しながらやってみましょう。

 

できる人は、復習を促すためにも、考えて自分のものにしてもらうためにも、応用出来ることを伝える。

だが、できない人にとっては、1回目の学びは余裕がないので突然応用と言われてもおうようにならない。いや、できない人だからじゃない。覚えようとしてしまう人だ。やってみよう、まなんでやろう、ではなくて、覚えよう、という人は応用力のないというのは、たった今できた仮説だ。

何故覚えようとするのか。

楽しくないからだ。基本嫌いだからだ。だから、覚えれば、飲み込めばそのつらさから解放される。

 

私は運動音痴で、でんぐり返しすらもうすでにできないと思うが
もし、今でんぐり返しをしろと言われて、
「1回で来たのだから2回目も簡単だよね」と言われたら
わかっている奴は何もわかっとらん!と、言っちゃうだろうなと思ったのだけど、覚えてやろう病とこれとは大きく違うことが自分の中で判明し、タイトルのつけミスを思う。だが直さない。何故ならば、眠いからである。

 

復習してほしいと口を酸っぱくして言う。
だがしない。なぜか。
「一度やった問題だから答えを覚えている」のだという。
良く解らない。だが、それが現実。

応用が利かないのではない。
覚えようとするからだ、というのを得られただけでも今日のブログかいた価値あり。やったね!

自分の社会はとても小さい。

マッチョな人の周りには、マッチョが集まるから、世界はマッチョでできていると思う。

デキルヒトの仲間はデキルヒトが多いからデキルヒト以外のイメージがわかない。

 

デキナイヒトの周りにはデキナイヒトが多いから、デキルセカイは解らないし、みんなそういうもんだと思う。

 

向上心がないなんて信じられないとマッチョが言う。

成長するのが楽しいからって働くとかって女捨ててる!と、女子大生が言う。

信じられないとマッチョが怒る。それは働く楽しみを知らないゆとりだからだ!とマッチョが言う。

20代で子ども産まないと、と女子大生が言う。「センギョウシュフになりたいんです、ワタシ。」

一生懸命働くなんてばかみたいと思っていたけど、子どもができてシングルになって働かざるを得ないんです、と彼女が言う。「私の周りにも多いです。私のころはそんなにがつがつ働かなくてもよかったから」と私と同い年の子が言う。

 

つまり、自分の周りにいる人は、社会じゃない。それは、あなたの社会であって、一般的な社会ではない。あなたにとって居心地がいい世界なんだと思う。

 

マッチョが言う。

「私はさ、もっと良くするために努力していくってかっこいいと思うんだよね」

しかし、世の中そんなにマッチョじゃないんだよ。ってことをマッチョに伝えたい。

そして、マッチョにはマッチョ以外の世界を知ってほしいし

自分を含めて多くの人に、自分の知らない世界がたくさんあって

一生お友達になることはないけれども

世界が存在していることは認識しておいてほしいと思うのである。

 

解んないことばかりだから、わかったふりをしちゃいけない。

自分の社会は、自分の居心地のいい場所は、とてもとても小さい。

だからこそ、大切にしたいし、飽きたらほかの場所を探せばいいし

自分と仲良くならないあの人にも居心地のいい場所があるということを

知ってほしいのです。解ってほしいとは言わないので。

書く。

・自分で選ぶということ

今、私が日本に住んでいるのは、日本にしか住めないからではなくて、住みたいから選んで住んでいる、という考えだ。

消極的に選択しているのではなく、積極的に選択した結果として、今ここにいる。

だから、いつでも自分の意志で動けるように英語を学ぶ。動きたくなった時に英語が足を引っ張るために自分の意思を実行できないというのは避けたいから。

 

・質問の難しさ

なんでもかんでも質問しないで、少しは調べなさい。
と思う時がある。

一方で、どうして解らないことを質問しないの?どうして情報が足りないがゆえに答えが出ないのに、その情報に対して質問をしないの?

と思う時がある。

前者を思う時は、自分がその答えがあることを知っているからだろう。しかし、質問する側はどこに答えがあるのか、どういう答えなのか、どう調べればいいのか解らないから質問するのだろう。(これもすべて推測だな)

後者を想う時は、自分も答えを知らないし、質問しない人が結論の出ないことに対してうだうだしているのをみてイライラしているときだ。たとえばあの人はどう思っているかなどだ。そんなのエスパーじゃないのだから解らない。聞きなさい。あの人はこう思っているに違いないと勝手に推測してはいけない。と、前文で推測しながら書いている私は一体なんなんだ。

 

つまり、質問の質などと言われるが、要はそれを判断する人にとっての質問の質であり、本質の質ではないのだな。と言うことに気づいた。

 

書くと、色々な自分の中の矛盾に気づくことができて面白い。

雑文

文を書かなくなって、とても長い時間が経った気がする。

書きたいという意欲もなくなっていた。

手が、動かないのだ。

それは、話さないことと似ているのだろうか。

今はまだ言葉が出るが、これが、社会とのつながりが無くなったら

言葉すら思い出さなくなるのだろう

そうしたら人はどうやって思考するのだろうか。

思考すらしなくなるのだろうか。

 

文章を書くということは、考えるということだ、と思う。

話すより、書く方が少し思考力が必要な気がする。

例えそれが雑文でも。

 

考えを、文字にすることをしていこう。

一種のリハビリみたいなものか。

気づいたこと、見たもの、色々書いてみよう。

今日は、雑文。

心境の変化か?

最近、文章を書いていない。

そして、生まれて初めて「文章が書けない」という状態に陥っている。

 

今まで、文章が書けないという人の気持ちが全く分からなかったが、

現在、そんな感じなのだ。

 

いろいろ考えるに、

・日々忙殺されていて、感じたり考えたりすることがなくなっている

(思っていないから書けない)

・FBなどの短文に慣れてしまい、文章を書くことをしなくなった

が原因と思う。

 

ということで、肩ひじ張らずに、自分の意見をきちんとまとめていこうと思う。

どんなものであれ、どんな文体であれ

書くことがたぶん、自分を強くする。

コラプティオ(真山仁)

はてなブログで貼り付けたら画像大きいな!

コラプティオ

真山仁氏は、ハゲタカ、マグマなど、硬派なビジネス風小説とでもいうのだろうか、そんな感じの結構好みの作風なのだ。村上春樹風な主人公を強くして、強くして、富士山100回位登って、ハードボイルドワンダーランドにテキーラを飲んじゃう感じの。

 

で、今回、楽しみにコラプティオを読んだ。

大いなる違和感は、読了した後に解った。

これは、東日本大震災が起きる前に連載されていたもので
まさか、原発がこんなに大きな問題になるだろうと思わずに
書かれたものだ。

しかし、現実は起きてしまった。

震災前と震災後の「原発」という言葉の重みが変わったのだ。

その整合性が取れずに、読み終わった後に、なんとなくモヤモヤが残る。

 

ストーリーとしては、

頑張るお兄ちゃん(記者)の成長、現実を見るためのメンターみたいな人の存在がお兄ちゃんを成長させる。

そして、いい人の出現。葛藤しながら、総理に助言していく、いい人。葛藤を引き起こすためのメンターの出現。

最後にダークサイドに落ちていく政治家

 

そう、構図は解りやすく、読みやすいんだが、時代との整合性が取れない。

自分の脳内で現在と示し合せたいから、もやもやする。

 

と、読み終わったところで、トルコに原発を輸出ってニュースが流れたから、もしかして、2年後に読み返したら全く違う感想を持つのかもしれない。

葛藤シーンはドキドキするが、今回は物語の華となる女子も少なく、今迄みたいにハードボイルドワンダーランド要素がとても少ないように感じた。